2009年7月10日金曜日

:気象原簿と観測精神


● 1994/05[1981/07]



「気象原簿は絶対に焼かれるようなことがあってはならぬ。
 防空壕の最も安全な場所に移して、保存に万全を期せ」
 平野台長が、北にこう命じたのは、呉市大空襲の数日後であった。
 北をはじめ台員たちは、台長の命令に従い直ちに明治以来の気象原簿を整理した。
 原簿はじつに「151冊」もあった。
 これらすべてを保存箱に詰めて、構内の横穴式防空壕に運んだ。
 7月7日であった。

 気象原簿は、長い年月の間、一日も欠かさず観測し続けてきたデータの記録簿であり、気象人にとって命に匹敵するものともいえる代々の仕事の結晶であった。
 気象観測は、いかなる事態のもとでも定時に行わなければならない、とういのが気象人の職業訓であり、欠測によってデータに空白ができることは、気象業務に携わる者にとって許されないことであった。
 この職業訓は「観測精神」と呼ばれた。
 だから、観測記録の集積であり、その土地の気象の歴史でもある気象原簿を焼失するなどということは、絶対にあり得べからざることだった。
 なんとしても気象原簿は守らなければならなかった。

 「観測精神」とは岡田武松が創った言葉であった。
 それは「測候精神」といわれることもあった。
 「観測精神とは----」
と、岡田はその哲学を機会あるごとにいろいろな表現で語った。


 観測精神は、軍人精神とは違う。
 観測精神とは、あくまで科学者の精神である。
 自然現象は二度と繰り返されない。
 観測とは、自然現象を性格に記録することである。
 同じことが二度と起こらない自然現象を「欠測」してはいけない。
 それではデータの価値が激減するからである。
 まして記録をごまかしたり、いい加減な記録をとったりすることは科学者として失格である。
 気象人は単なる技術屋ではない。
 地球物理学者としての自負心と責任を持たなければならない。
 観測とは、強制されてやるものではなく、自分の全人格と全知識をこめて当たるものなのである。

 観測の記録は、精度を増すために測器による読み取り値を用いるが、実は観測者の観察にによる諸現象の記述が、最も大切なものなのである。
 然るにどうしたことか、観測とは測器の読み取りだけと速断するようになり、観察を軽視するようになってしまった。
 近頃では観測は初心の女でも子どもでもできると考えるものがあるが、これは測器の読み取りと観測をごっちゃにしたものである。
 単に読み取りだけならば、ある種のものは自記器械による方がましである。

 気象全体の模様などは決して測器には出てこない。
 これらは観測者が絶大の注意を払って観察し、できるだけ詳細に書き付けておくより方法はない。
 従って測器の読み取りにしたところで、軽々しくこれを行うべきではない。
 十分な注意と熟達した技術で行わなければならないという精神がそこの宿っていなければならない。
 それゆえに、観測者で当番のものは、寸分たりとも気を他に転ずることはできないのは勿論だが、当番でない者も、常に自分は観測者であるという心がけで注意していなければならない。

 気象学の進歩は観測の成果によって進歩したのではない、力学や熱力学を応用したためである、と従来言われている。
 表面だけ見ると、なるほど首肯される。
 しかし、力学や熱力学を応用するには、その基礎になるものがなくては叶わない。
 これは気象観測の成果から得られたものである。
 気象学の進歩は天気図に負うところが多大であるが、天気図は気象観測を資料として作成されるのである。







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