● 2003/12
『
その時、
「こんにちは、こんなところで日本の方に出会うとは‥‥」
と声をかけられた。
振りかえると初老の紳士が立っていた。
「女性の一人旅ですか。いいですね」という。
私は「お仕事でイスタンブールですか?」と聞いた。
紳士は淋しそうに肩をすくめ、陽が落ちかかった西を指差した。
金角湾が夕日にキラキラ輝き、巨大なモスクが影絵のように浮かんでいる。
「私、今井といいます。
この夕日をを見たくて青森からやってきたのです。
私の旅はお嬢さんのように、明日を求める旅じゃないんですよ‥‥
死ぬための旅なんです」
「死ぬため?」
「三十年間一生懸命働き続けました。
ようやく定年になり、やれやれこれで一段落とおもったら、娘と妻は二人だけで仲良く暮らしており、私の居場所はなかった。
仕事、仕事の毎日でしたからね。
それもしかたないです。
でも、やっぱり孤独は募るばかり。
同じ孤独なら、家族と一緒よりも一人で味わうほうが救われると旅に出ました」
「そんな‥‥、家には連絡を入れているのですか?」
「いえ、今更、電話したところで‥‥」
私は言葉が見つからず、黙って夕日を見続けていた。
すると老紳士は
「冗談、冗談ですよ。
若さ溢れたあなたが羨ましくなって、馬鹿なことをいってしまいました。
それではよい旅を!」
今井と名乗る紳士は、クルリと背を向け、去っていった。
私は螺旋階段の降りる靴の音を聞きながら、しばらく目を閉じた。
”家族って、生きるって、何なのだろう?”
』
やはりもう、「
夫にエサをやる必要はないのだ」
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