2009年1月29日木曜日
冒険女王:女一人旅、乞食列車12,000キロ:大高未貴
● 2003/12
『
北京からイスタンブールまで1万2千キロ。
飛行機で行けば、たった十数時間の距離だが、列車やバスを乗り継いでの旅では、なんと巨大な空間であったことか。
そこでは人さらいや強盗団の噂が跋扈し、ウルムチやウズベク、トルコ国境では民族紛争、テロが取りざたされていた。
私はこれまでにもイスラエルのガザ地区やその他の政情不安な地域を取材したことはあったのだが、あえてまたそんな危険な地域を旅しようと思い立ったのには理由があった。
それは、二十代最後に何か大きなことにチャレンジしたかったこと、
そして、この旅が自分のはまり込んでいたスランプ状態を克服するきっかけになるような気がしたからだった。
当時の私は三十歳を目前にして、仕事もおもうように軌道に乗らず、かといって結婚する気にもなれず、不確かな将来を思い悩んでいた。
そんな折に、NHKのシルクロード鉄道(中国からトルコ)開通の番組を見たのだ。
エンデイングの音楽を聞きながら、私は興奮していた。
「コレだ!」 と思った。
陸路でユーラシア大陸を横断するなんて、ものすごい大冒険だ。
これを成し遂げられたら、絶対現在の閉塞状態を脱出できるに違いない、そう直感したのだ。
無謀にも丸腰のままで旅立ったユーラシア大陸では、見るもの聞くもの、毎日がカルチャーショックの連続だった。
衣・食・住の違いや、過酷な自然環境もさることながら、宗教やイデオロギーといったものが、あたかも漬物石のようにそれらの国の人々の上にドデンとのっかっている厳然たる事実は、平和ボケ日本に育った私の目をさますに充分だった。
1998年3月から2カ月半を要したたびを終え、イスタンブールから無事帰国した時の気持ちを正直にいえば、こうだ。
「ああ、日本に生まれてよかった」
なんとも申しわけないような結論なのだが、以前の私は、どことなく日本人であることに引け目を感じていた。
学校で歴史の時間に教わった、第二次世界大戦の負い目もある。
欧米の文化や生活習慣に対するコンプレックスもあったかもしれない。
しかし、実際には違った。
「日本のパスポート」は世界中どこへ行っても「信頼と尊敬」を集める。
あたかも水戸黄門の印籠のようなものであった。
それは過去から現在に至るまで、さまざまな形で、多くの日本人が誠実な姿勢で世界に貢献してきたという証に他ならない。
また、世界の人と向き合う時、日本人の誇りや自覚がないと、いい関係は築けないということも知った。
何故なら、自分を愛せない人間が他人を愛せないように、自国を愛せない人間が他国を愛することはできないからだ。
彼らにはよりよい収入を得ることが明日の幸福につながるという強固な意識があった。
結局のところ、善し悪しはともかく、彼らの生は直截でわかりやすい目標に邁進し、‥‥
私たちの生は混沌として泥沼にはまったように曖昧だ。
それを豊かさの罪だなどといってみたところで何になろう。
歴史は後戻りできない。
だとしたら現在の私たちにできることは、もっと日本を知り、自分の国の現在を、そして自分を見つめなおして、誇りを取り戻すことだろう。
それは、史跡として残る権力者の巨大なモニユメントが教えてくれたことでもあった。
「現在」という瞬間にフォーカスしているからこそ、シルクロードに生きる「人の生」がキラキラと輝いて見えるのだ。
苦悩も不幸もウエルカムだ。
どんどん肥やしにすればいい。
それほど人生は素晴らしいものなんだ。
シルクロードの旅はそんなことも私に教えてくれた。
』
また、あとがきから読む。
いろいろな本のあとがきを編集した「あとがき集」というのも出版されているようだ。
あとがきを読んで把握できないときは、本文を読むのに緊張する。
心の「ゆとり」がもてなくなるせいだろう。
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
_