2009年1月27日火曜日

:かたつむりの旅


● 1997/05



 海外旅行などというものにまったく関心がない。
 生涯外国などに行くものものかという誓いに似たものさえ抱いていた。

 自分の命はかぎられている。
 地球儀でみると、この日本という国は小さな島国だが、この島を見て歩くだけでも、死ぬまでの時間ではむろん足りはしない。
 出来る範囲内で、ちいさな村のデコボコ路や、密集した下町の家々の間の狭い露地を、自分の足で踏んで歩きたい。
 それだけでも時間が不足だというのに、わざわざ異人種の棲む外国などに行く必要などまったくない、というのが私の考え方であった。

 しかし、九月下旬、はじめて日本をはなれた。
 仕事という抗しがたい理由からである。
 パリからロンドンへ、それから17時間ジェット機に乗って南アフリカへと行った。
 それからロンドンにもどり、ニュヨークに赴き、そして帰国した。
 一ヵ月半の旅であった。

 帰ってくると、会う人ごとに
 「早く帰ってきたね」
と、言われた。
 冗談ではない。
 その一ヵ月半は、私にとってまったく長い長い一ヵ月半だった。

 海外への旅に関心をもたないのは、異国のこと異国人のことは、到底理解することができまいという先入感がたちはだかるからである。
 小説を書く身として、理解しがたい土地、理解しがたい人々の群の中に入り込むことは、息苦しさを感じるだけである。
 眼を閉ざされ、耳をふさがれているのと同じものどかしさを感じる。

 外国映画に登場する日本人の滑稽な描写を、笑えない。
 長い歳月にわたって血から血へとそれぞれ固有の風土の中ではぐくまれた異国の人々、それらを筆にすることは、日本人である私が「ただ憶測するだけのこと」で、深くその対象に食い入ることは不可能にちがいない。

 旅行中に絶えず感じたことは、「ヨソ者意識」である。
 自分の棲息するのには不適当な谷に身を置いているような落ち着きを失った感情であった。

 漸く自分の棲息に適した場所に戻ってきた。
 この地には、あきらかに自分の理解し得る人たちが棲んでいる。
 これから当分の間、この島国をはなれたくない。





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