2009年1月27日火曜日

:図書館員の定年退職


● 1997/05



 小説の資料を得る目的で旅行に行くと、とりあえず土地の図書館を訪れる。
 「資料課」という部門があって、課員が例外なく親切に相談にのってくれる。
 もっとも十年ほど前までは、それほど親切とは言いがたかった。
 こちらの探している資料をきくと、それを書庫から運び出してきて渡してくれる。
 それで十分なのだが、なんとなく事務的な感じであった。

 それが、最近では心のこもった応対をしてくれる。
 こちらが資料名を口にすると、他にも関連した資料があると行っては探し出してきてくれたりする。
 それが、どれほどありがたいことか。

 電話を地方都市の図書館にかけ、資料課の人に自分の欲しい資料を口にすると、課員は即座に、
 「もし必要ならコピーして送ってさし上げます。コピー代の請求書は同封しておきますから、送金してください」
 と言い、私の住所、氏名をたずね、コピーを送ることのできる予定日を告げて電話を切る。
 そんなことで、何度もコピーを送ってもらった。

 誤解のないようにしておきたいが、先方は私が小説家であるから送ってくれるのではない。
 そんなことは無関係に親切に応じてくれるのである。

 そんなことで、博識の図書館長や資料課員を何人も知るようになった。
 それらの方は、まさに「生き字引」そのものと言った存在で、こちらが口にする資料を列挙し、その内容を要領よく説明してくれる。
 その方たちの頭の中には、おびただしい書籍分類カードが整然と並べられているような驚きを感じる。

 そうした館長や課員も、定年になると図書館を退いてゆく。
 図書館も役所の一部門で、退職した館長の後任に土木課や農林課の長などが就任したりする。
 むろん、新館長は図書に深い知識があるわけではなく、訪れる者におどおど対応するだけで、まことに気の毒な気がする。

 他の部門と違って図書館員は、老齢者でも十分勤まる。
 むしろ老齢者の方が豊かな知識をもっているだけに適任だと思う。

 図書館長や資料課員を定年の枠にしばりつけないで欲しい。
 それらの方々は、その「市や町の宝」であることを知って欲しいのだ。 


 前回、日本に行ったときは、その旅程の半分を図書館通いに費した。
 といっても、もったいなくも宮城谷昌光の本を片っ端から読み込んでいったすぎないのだが。
 そのせいか、このとき読んだものは3,4つの小説の筋が重層錯綜し混乱してしまい、いまだに明瞭に思い出すことができなくなっている。

 そんなある夜、図書館の入っている建物の小ホールで寄席が開かれた。
 おおいに楽しませてもらった。
 「大江戸小町会
 公演のあとに行われたチャリテー・バザーで、「落札するのだ」と決めてかかり、色紙を競り落とした。






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