● 2008/12
『
告白するが、わたしは教えるのが苦手だ。
犬に「お手」を教えることだってできたたためしがない。
犬だけではない。
何人かの人間に試してみたが、やはり「お手」を教えることができなかった。
結婚後も、妻に「妻のあり方」を教えることに失敗した。
夫への尊敬心を教えようともしたが、
「尊敬される夫になれ」
と、言われただけだ。
いま思うと、そういうことを教えようとしていたころは、まだ希望に燃えていた。
最近は妻に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が憲法で保障されている」と説いているが、「憲法で保障されているなら安心よね」と言われただけだった。
今後は、児童虐待防止法を持ち出し、動物愛護法に訴えるつもりだが、見通しは暗い。
今こそ妻に説教するときだ。
こんなチャンスは生涯に一度あるかどうかだ。
「人間、忍耐が大切だ。
古今の偉人を見てみろ。
忍耐しないでエラくなった人はいないんだ」
--------
「わたしは何かを決めるときは、まず<我慢できないか?>と自問する。
しかし、お前は何をするにも<我慢する>という選択肢を考慮だにしない。
わたしは我慢できることは何でも我慢しているんだ。
お前に足りないのは忍耐心だ」
こう諭すと、妻が言った。
「ヘー、そんなに我慢強いとは知らなかった。
あなたがエラくないのは、忍耐が足りないからだと思っていた」
「冗談言っちゃ困る。
わたしは耐えに耐えているけど、エラくなれないだけなんだ。
世の中、耐えてもエラくならないこともある。
わたしの場合は、エラくないことにも耐えているから、ただエラいだけの人よりも忍耐力が強いんだ」
---------
「本の整理はどうなったの?
いつも<体調が悪い>とか言ってやらないじゃないの。
忍耐強いのなら、体調が悪いくらい耐えられるでしょう」
「わたしだって、すっきり整理されている方がずっと気分がいい。
でも、わたしはあえてこの乱雑さに耐えているんだ。
お前が小言をいうのは分かっているけど、あえて小言にも耐えているんだ。
むろん、体調の悪いことにも耐えている」
「結局、ただの自堕落なだけじゃないの」
「自分の自堕落なところにも耐えているんだ」
自分がどんな失敗をしたかは後にならないと分からないのだから、速断は禁物だ。
成功か失敗かも後になってみないと分からない。
結婚に失敗したと思っても、死に際になって、実は成功だったというということがわかる可能性も、想像を絶しているが、皆無ではない。
しかし、それを一般化して、
「人生の成功失敗は、死ぬ間際にならないと分からない」
と言えるだろうか。
「言えない」
と、わたしは思う。
「人生」全体には成功も失敗もない、と思うからだ。
成功・失敗は、何らかの目標に照らして決まることだ。
的がなければ当たりも外れもないのと同じである。
人生には「目標達成」以外に多くの面がある。
たとえば日曜日の朝、テレビを見て外出し、公園に行ってのんびり散歩して、ベンチで昼寝し、その後、喫茶店で論文とミステリを読んで帰宅した場合、
この日曜日は成功だったのか、失敗だったのか。
この問いに意味があるだろうか。
そう思いながら帰宅する。
と、妻が激しい剣幕で
「今日は本棚を整理するといっていたでしょっ」
と言った。
日曜日は、明らかに失敗だった。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
_
● 2008/12
『
情報は必ずしも有益なものとはかぎらない。
ある朝、新聞を広げると、赤鉛筆で記事を二重三重に囲ってある。
明らかに自然現象ではない。
最近、新聞がカラー化したといっても、記事を赤で囲うとは考えられない。
妻のしわざに決まっている。
不吉だ。
妻はすでに外出した後だ。
読むと、60歳以上の夫婦を調査した結果を報じたもので、妻が夫と暮らすと、死亡リスクが2倍になるという記事だった。
一方、夫は妻と暮らすと死亡リスクは半分になるという。
衝撃的な記事だ。
「死亡リスク」の意味が分かっていたら、もっと衝撃的だろう。
要するに、男女が同居すると、一人で暮らすより女の寿命は縮み、男の寿命は延びるというのだ。
以外だった。
私の考えでは、男女が同居すると、男はストレスがかかって早死にするが、女はストレスが少ないから長生きすると思っていたから、逆の結果だ。
この記事の影響は大きい。
かなりの数の中高年の女が離婚しようかと迷っている。
この記事を読んで、離婚しないと早死にすると考えて、離婚に踏み切る女もでるのではないかと思う。
もちろん、男からすれば、そんな女はいない方がいい。
長生きのために去っていくような身勝手な女が去ってくれるもは大歓迎だ。
だが、この記事によれば、そういう女は長生きし、去られた男は早死にするのだ。
女は記事を読んだ後は、夫を見るたびに
「こんな男のために命を縮めているのか」
と確実に思うようになる。
下手すると殺意が芽生えるかもしれない。
殺人まではいかなくても、身体に悪いものを食べさせるようになる可能性は高い。
男の寿命は短くなる。
問題は、なぜ妻がこの記事を赤で囲ったかだ。
別れるつもりなら、こんな回りくどい方法を使う女ではない。
たぶん妻のメッセージは
「命を縮めてまで一緒にやっているのだから、もっとわたしを大事にしろ」
というものだろう。
今まで以上に無茶な要求が増えるに違いない。
それを考えると、寿命が縮む思いだ。
翌日の新聞に、ある男がその記事を妻に読まれないように切り抜いた話が載っていた。
新聞を切り抜くのは、通常、後で読み返したり、保存しておくためだが、人に読ませないために切り取るということもあるのだ。
切り抜くと、かえって怪しまれるのではないかと思う人もいるかもしれないが、-----
情報隠匿が悪いと言っている場合ではない。
自分の命がかかっているのだ。
とにかく、女が先に読むと赤で囲み、男が先に読むと切り抜くほど、その記事は男にとって迷惑な記事なのだ。
数日後、朝刊を広げると一部が切り抜かれていた。
明らかに妻のしわざだ。
わたしに読まれると、非常に困る記事があったのだ。
もしかしたら、「死亡リスク」の記事が誤報だったという記事かもしれない。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
_
_● 2008/12
『
本連載が500回を迎えた。
週一回、かかさず500回続けたことといえば、連載のほかには、毎週日曜日を迎えたことぐらいしかない。
最初、連載の話をいただいたとき、わたしは賢明にも、書けることは数回で尽きるだろうと予想し、お断りした。
だが、
「書くことがなくなって初めて真価が出る」
と言われて、真価が出ては困ると思いながら、愚かにも引き受けたのだ。
わたしの場合、500回続けるのは人一倍困難だった。
こうみえても、わたしは
忍耐力がない、
根性がない、
無責任だ
と言われ続けてきた男だ。
これだけのハンデを背負いながら500回続けるのは、快速電車に乗って千駄ヶ谷で降りるぐらい難しいのだ。
わたしをいい加減な男だと非難している連中は、この数字をかみしめてもらいたい(連載内容はかみしめないでもらいたい)。
さらに、わたしには弱点が相当あり、わたしの文章を読んでも分からないかもしれないが、弱点の中には文章力も含まれる。
文章力がない者が書くのだから、サルが「キラキラ星」を歌うようなものだ。
一回分書くのも人一倍困難なのだ。
それを500回続けるのは、わたしの場合、快速電車に乗って水道橋で降りるぐらい難しいのだ。
しかもそれまで論文か論文調のエッセイしか書いたことがなかったのだ。
-------
わたしには1回1ページのコラムは未知の分野だった。
当時50歳を過ぎていたわたしには、これは困難な挑戦だった。
それでも連載を引き受けたのは、その困難さに気づかなかったからだ。
(人間が困難なことに挑戦するのは、たいてい事情を知らないからで、わたしに予知能力があったら、執筆も結婚もしなかっただろう)。
うまく書けないのは論文調でないからだと、わたしはずっとそう思っていた。
だが、わたしは論文を書くのも苦手だということを、つい最近気がついた。
どっちみち、困難は避けられなかったのだ。
その上、わたしは変化に乏しい生活を送っている。
旅行に行くこともなく、
一日警察署長を務めたりすることもなければ、
臨死体験をするわけでもなく、
宇宙人と遭遇するわけでもない。
行動範囲は狭く、
刑務所に入っているのと大差ない、
だから書く材料が乏しい。
もちろん変化のない生活でも、問題は次々起こる。
だが、何が起こっても、書けることと書けないことがある。
書くと被害が及びそうなことは書けないし(妻のことは、遠慮なく書いているように思われるかもしれないが、本当に言いたいことは書けていないのだ)、
表現力がなくてかけないこともあれば(チャルメラの音やギョーザの匂いの描写など)、
想像力がなくて書けないこともあり(ミドリガメになった気持ち)、
知識がなくて書けないこともある(タンザニアの法大系など)。
人の悪口を書きたくても、相手に落ち度が一つもなかったりするのだ。
これだけの障碍を考えれば、500回続いたのは新幹線に乗って田町で降りるのに等しいと思う。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
_
● 1984/11
『
だいぶ前に、私は『マダム貞奴』という小説を書きました。
題名が示す通り、女優の草分けと言われる井上貞奴を主人公にした作品です。
このとき、もし将来機会が得られたら、福沢桃介を間に挟んで、貞奴とはライバルの関係にあった房子(桃介の妻)の視点から、もう一度、同じ素材をみつめ直してみたいと考えました。
ところがたまたま昨秋、貞奴をテレビドラマ化したいとの要望がNHKからもちこまれたため、かねての念願を実現すべく「オール読物」誌上に、短期集中連載の形で発表したのがこの『冥府回廊』です。
単行本にまとめるに当たり、さらに80枚ほど加筆しましたが、つまり貞奴側から書いた『マダム貞奴』と、房子側から書いた『冥府回廊』の二作品が、昭和60年度NHK大河ドラマ『春の波涛』の原作ということになります。
『冥府回廊』執筆のさいは、大西利平氏の福沢桃介翁伝、宮寺敏雄氏の財界の鬼才福沢桃介の生涯など、桃介研究の定本と評してよいご労作をはじめ、桃介はかくの如し、桃介式、無遠慮に申し上げ候など福沢桃介自身の著述、同じく川上音二郎・貞奴漫遊記、欧米漫遊記などの音二郎自身の著述、福沢諭吉の書簡集、杉浦翠子の兄桃介を悼むの歌、純愛三十年斉藤茂吉の手紙などなど、小説の登場人物みずから筆をとったもの、また比較的新しい著作物では宮岡謙二氏の旅芸人始末書、山口玲子氏の貞奴に関する評伝、あるいは演劇画法はじめ雑誌や新聞、大同製鋼、関西電力、北海道炭鉱汽船株式会社などの社史や出版物、慶応義塾百年史など、個人法人を問わずおびただしい資料の恩恵にあずかりました。
さらに貞奴の養女川上富司さま、房子のお孫さんの福沢直美さま、-------など、有縁のかたがたから貴重なお話や御教示をたくさん頂戴できたことも、感謝のほかありません。
ご遺族としては、登場人物の性格設定や扱いなどに、トキにご不満、ご不快もあったろうとお察しいたします。
しかし、小説というものをよくご理解くださり、お心ひろくお力添えいただけたのは、身に余る仕合せでした。
上村松皇画伯が、すばらしい白孔雀のお絵の、表紙への流用をこころよく許してくださったのもありがたいことです。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
_
● 2006/04[2005/06]
『
孤独は、その人の感傷を気持ちよく酔わせ、漠然とした不安は、夢を語るにおいて一番必要な肴になる。
ひとりで孤独にさいなまれながら、不安を携えて生きている時。
実はそれは何にも恐れてはいない時なのであり、心、強く生きているときなのである。
句読点もなくめくれゆく日々。
見飽きてしまった四季の訪れ。
それは止めどもなく繰り返されてくれるのだろうと、うんざりした眼で眺めている。
毎日は、ただ緩やかに、永遠にループしていくのだと考えている。
まだ、何も始まってはいない。
自分の人生の始まるべきなにか。
その何かが始まらない苛立ち。
動き出さないあせり。
しかし、その苦しみも、何かが始まってしまった後で振り返ってみれば、それほどロマンチックなことでもない。
本当の孤独は、ありきたりな社会の中にある。
本物の不安は平凡な日常の片隅にある。
酒場で口にしても、グチにしかならない重苦しくて特徴のないもの。
どこに向かって飛び立とうかと、滑走路をぐるぐる回り続けている飛行機よりも、着陸する場所がわからずに空中をさまよう飛行機の方が数段心もとない。
この世界と自分。
その曖昧な間柄に、流れる時間が果てしなくなだらかに続くが、誰にでもある瞬間から、時の使者の訪問をうける。
道化師の化粧をした黒装束の男が無表情に現れて、どこかにあるスイッチを押す。
その瞬間から、時間は足音を立てながらマラソンランナーのように駆け抜けてゆく。
それまで、未だ見ぬ未来に想いを傾けて穏かに過ぎていった時間は、逆回転を始める。
今から、どこかにではなく。
終わりから今に向かって時を刻み、迫り来る。
自分の死、誰かの死。
そこから逆算する人生のカウントダウンになる。
今までのように、現実を回避することも、逃避することもできない。
その時は、必ず誰にでも訪れる。
誰かから生まれ、誰かと関わってゆく以上。
自分の腕時計だけでは運命が許してくれない時が。
五月のある人は言った。
「東京でも、田舎町でも、どこでも一緒よ。
誰と一緒におるのか、それが大切なこと」
と。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
_
● 2006/04[2005/06]
『
東京には、街を歩いていると何度も踏みつけてしまうくらいに、自由が落ちている。
落ち葉のように、空き缶みたいに、どこにでも転がっている。
故郷をわずらわしく思い、親の眼を逃れて、その自由という素晴らしいはずのものを求めてやってくるけど、あまりにも簡単に見つかる自由のひとつひとつに拍子抜けして、それをもてあそぶようになる。
自らを戒めることのできない者の持つ、程度の低い自由は、思考と感情をマヒさせて、その者を身体ごと道路際のドブに導く。
ぬるくにごって、ゆっくりと流されて、すこしづつ沈殿してゆきながら、確実に下水処理場へと近づいていく。
かって自分が何を目指していたのか、なにに涙していたのか。
大切だったはずのそれぞれは、その自由の中で、薄笑いと一緒に溶かされていった。
ドブの中の自由には、道徳も、法律も、まはや抑止する力はなく、むしろ、それを犯すことくらいしか、残された自由がない。
漠然とした自由ほど不自由なものはない。
それに気づいたのは、様々な自由に縛られて身動きがとれなくなった後だ。
大空を飛びたいと願って、それが叶ったとしても、それは幸せなのか、楽しいことなのかは分からない。
結局、鳥籠の中で、今居る場所の自由を、限られた自由を最大限に生かしている時こそが、自由である一番の時間であり、意味である。
就職、結婚、法律、道徳。
面倒で煩わしい約束事。
柵に区切られたルール。
自由は、そのありきたりな場所で見つけて、初めてその価値がある。
自由めかした場所には、本当の自由などない。
自由らしき幻想があるだけだ。
故郷から、かなた遠くにあるという自由を求めた。
東京にある自由は、素晴らしいものだと考えて疑いがなかった。
しかし、誰もが同じ道を辿って、同じ場所へ帰っていく。
自由を求めて旅立って、不自由を発見して帰ってゆくのだ。
五月のある人は言った。
「あなたの好きなことをしなさい。
でも、そこからが大変なのだ」
と。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
_
_
● 2006/04[2005/06]
『
子どもの一日、一日は濃密だ。
点と点の隙間には、無数の点がぎっちりと詰まり、密度の高い、正常な時間が正しい速さで進んでいる。
それは、子どもの順応性が高く、後悔を知らない生活を送っているからである。
過ぎたるは残酷までに切り捨て、日々訪れる輝きや変化に、節操がないほど勇気を持って進み、変わってゆく。
「なんとなく」時が過ぎることは、彼らにはない。
大人の一日、一年は淡白である。
単線の線路のように前後しながら、突き出されるように流れて進む。
前進なのか、後退なのかも不明瞭のまま、スローモーションを早送りするような時間が、ダリの描く時計のように動く。
順応性は低く、振り返りながら、過去を捨てきれず、輝きを見出す瞳は曇り、変化は好まず、立ち止まり、変わり映えがない。
ただ、「なんとなく」時が過ぎてゆく。
自分の人生の予想できる、過去と未来の分量。
未来の方が自分の人生にとって重たい人種と、もはや過ぎ去ったことの方が重たい人種と。
その2種類の人種が、同じ環境で、同じ想いを抱いていても、そこには明らかに違う時間の流れ、違う考えが生まれる。
人間の能力は、まだ果てしない可能性を残している、のだという。
その個々の能力の半分でも使えている人はいない、らしい。
それぞれが自分の能力、可能性を試そうと、家から外に踏み出し、世に問い、彷徨う。
その駆け出しの勢いも才能。
弓から引き放たれたばかりの矢のように、多少はまっすぐに飛ぶものだから、それなりの成果は生んでしまう。
全能力の1,2パーセントを弾きだしただけでも、少しは様になってくる。
ところが、矢の軌道も孤を描き始める頃、どこからか、得たいのしれない「感情」が滲んでくる。
肉体もやつれ、なにかしら考えはじめる。
この先に「幸福」 があるのだろうか、と思い始める。
能力は成功をもたらしてくれても、幸福を招いてくれるとは限らない。
こんなことを想い始めたら、もう終わりだ。
人間の能力に果てしない可能性があったにしても、人間の「感情」はすでに、大昔から限界がみえている。
日進月歩、道具が発明され、延命の術が見つかり、今の私たちは過去の人類からは想像もできないような「素敵な生活」をしている。
しかし、数千年前の思想家たちが残した言葉や、大昔の人々が感じた「感情」や「幸福」についての言葉や価値は、笑えるくらいに何も変わっていない。
どんな道具を持ち、いかなる'環境に囲まれても、「ヒト」の感じることはずっと同じで変わっていない。
感情の受け皿には、もう可能性はない。
だから、人間はこれから先も永遠に潜在する能力を出し切ることはできない。
「幸福」という、ひまわり畑にいるオバケを意識した時から、まだ見ぬ己の能力など一銭の価値もなくなる。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
_
● 2006/04[2005/06]
『
「親子」の関係とは簡単なものだ。
はなればなれに暮らしていても、ほとんど会ったことすらないのだとしても、親と子が「親子」であることに変わりはない。
ところが、「家族」となると、その関係は「親子」はど手軽なものではない。
親子関係は未来永劫に約束されるが、「家族」とは生活という息苦しい土壌の上で、時間をかけ、努力を重ね、時に自らを滅しても培うものである。
しかし、その賜物も、たった一度、数秒のいさかいで、いとも簡単に崩壊してしまうことがある。
「親子」は足し算だが、「家族」は足すだけでなく引き算もある。
「親子」よりも、さらに、簡単になれてしまうのが「夫婦」と言う関係。
ふざけた男と女が、成り行きで親になり、しかたなく「家族」という難しい関係に取り組まなくてはいけなくなる。
ことなかれにやり過ごし、ホコリは外に掃きださずとも、部屋の隅に寄せてさえおけば、流れてゆく時間がハリボテの「家庭」くらいは作ってくれる。
しかし、ひびの入った茶の間の壁に、たとえ見慣れて、それを笑いの種に変えられたとしても、そこから確実にすきま風は吹いてくる。
笑っていても、風には吹かれる。
立ち上がって、そのひび割れを埋める作業をしなくてはならない。
そのひび割れを、恥ずかしいと感じなければいけない。
恐ろしく面倒で、重苦しい「自覚」というもの。
その自覚の欠落した夫婦が築く、家庭という砂上の楼閣は、シケ(時化)ればひと波でさらわれ、砂浜のに家族の残骸を捨ててゆく。
砂にめり込んだ貝殻のように、子どもたちはその場所から、波の行方を見ている。
淋しいのではなく、悲しいのでもない。
それはとてつもなく冷たい眼である。
言葉にする能力を持たないだけで、子どもはその状況や空気を正確に読み取る感覚にたけている。
そして、自分がこれから、どう振舞うべきかという演技力も持っている。
それは、弱い生き物が身を守るために備えている本能だ。
「夫婦にしかわからないこと」、よく聞く言葉だ。
しかし、「夫婦だけがわかってない、自分たちのふたりのこと」を、子どもや他人は涼しい眼で、よく見えているということ、もありうるのだ。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
_
● 2006/04[2005/06]
『
トンネルを抜けるとそこはゴミタメだった 春になると東京には、掃除機の回転するモーターが次々と吸い込んでいくチリのように、日本の隅々から、若い奴らが吸い集められてくる。
暗闇の細いホースは、夢と未来へ続くトンネル。
転がりながらも胸躍らせて、不安は期待がおさえこむ。
根拠のない可能性に心ひかれる。
そこへ行けば、何か新しい自分意なれる気がして。
しかし、トンネルを抜けると、そこはゴミ溜めだった。
埃がまって、息もできない。
薄暗く狭い場所。
ぶつかりあってはかき回される。
ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる。
愚鈍にみえる隣の塵も、無能に思える後ろの屑も、輝かしいはずの自分も、ただ同じ、塵、屑、埃。
同じ方向に回され続けるだけ。
ぐるぐるぐるぐる、同じゴミだ。
ほらまた、やってくる。
一秒前、一年前の自分と同じ。
瞳を輝かせた塵、屑、埃。
トンネルの出口からこの場所へ。
ここは掃除機の腹の中。
東京というゴミタメ。
集めて、絞って、固められ、あとはまとめてポイと捨てられる。
こんな時代の若い奴らに、自分自身の心の奥から、熱くたぎり出る目的なんかありはしない。
「夢」という言葉に置き換えて、口にする奴がいたにしても、その「夢」の作り方は、その辺のテレビや雑誌のページをとりあえず、自分のくだらなさに貼り付けただけのもの。
日本の片隅からのこのこやって来た者などに、目的と呼べるものがあるとすれば、それはただ、東京に行くということだけ。
それ以外に、本当は何もない。
東京へ行けば、何かが変わるのだと。
自分の未来が勝手に広がっていくのだと。
そうやって、逃げ込んで来ただけだ。
「貧しさ」は比較があって、目立つもの。
この街で生活保護を受けている家庭、そうでない家庭、社会的状況は違っても、客観的にどちらがゆとりのある暮らしをしているのかもわからない。
金持ちが居なければ、貧乏も存在しない、
東京の大金持ちのような際立った存在がいなければ、あとはドングリの背比べのようなもの。
誰もが食うに困っているでもないなら、必要なものだけあれば貧しくは感じない。
しかし、東京にいると、必要なものだけしか持っていない者は、貧しい者になる。
「必要以上」のものを持って、初めて一般的な庶民であり、「必要過剰」な財を手に入れて、初めて豊かなる者になる。
"貧乏でも満足している人はお金持ち、
それもひじょうな金持ちです。
金持ちでも、いつ貧乏になるかとびくついている人は、「冬枯れ」のようなものです"
「オセロー」の中のこんなセリフも、東京の舞台では平板な言葉にしか聞こえない。
必要以上を持っている東京の住人は、自分のことを「貧しい」と決め込んでいる。
あの町で暮らしていた人々は、金がない、仕事がないと悩んでいたが、自らを「貧しい」と感じていたようには思えない。
「貧しさたる気配」が、そこにはまるで漂っていなかったからである。
搾取する側とされる側、そういう気味の悪い勝ち負けで明確に色分けされた場所で、個性や判断力を埋没させてしまっている自が姿に、貧しさが漂うのである。
必要以上になろうとして、必要以下に映ってしまう、
そこにある東京の多くの姿が貧しく悲しいのである。
「貧しさ」とは美しいものではない。
醜いものでもない。
東京の「見どころのない貧しさ」とは、醜さではなく、「汚」である。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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● 1977/03[1977/02]
『
巷談俗説によるNHK論 ぼくは24歳の秋から38歳の春まで、主にNHKの仕事をして口を糊してきた。
また昨夏から昨秋にかけては、「NHK基本問題調査委員会」の構成員のひとりでもあったため、この放送局についてはかなり関心を抱いている。
ぼくの私的な調査によれば、テレビに番組を提供したり、コマーシャル・メッセージを流したりしている会社は、平均2%から4%のテレビ宣伝費を商品の値段に含めているようだ。
さる高級化粧品会社の重役からこっそり耳打ちされたところでは、化粧品の場合は商品値段の1割近い額がテレビ宣伝の方へさかれているという。
だが、もしここに次の如き別のタイプの人間がいたらどうなるか。
彼は、米、麦、魚、肉、野菜などの基本的な生活資材のみで暮らしている。
(
これらの、人間が生きていくにために欠かせないヒナモノは、ぜったいにCMの時間には登場しない。
これはたいへん重要な事実である。
つまり、テレビを宣伝媒体としている商品は、われわれの生活に必ずしも欠かせないモノではない。
いやむしろ、なくてもすむような商品ばかりが、民放のテレビに番組を提供している。
といってもいいだろう。
)
朝、ヒゲを剃るときは彼はジレットは使わない。
どこかで手にいれた小刀式のカミソリを用いている。
剃ったあとに「ブラバス」など塗らない。
真水で軽く顔を洗うだけである。
食事もテレビで宣伝している類は一切しりぞける。
そんな人間がいるものか、とおっしゃる読者もあるだろうが、実は大勢いるのだ。
だいたい、かく言うぼくがこのタイプである。
「国民のNHK」、これを日本放送協会は好んで口に出すが、これはたわごとである。
だいたい国民などというものは存在しない。
顔も背も考え方もそれぞれにちがう1億1千万人の人間がいるだけである。
大は天皇制についての考え方から、小は山口百恵がいいか桜田淳子がいいかとという考え方までそれぞれに違う。
それを「国民」などとひとまとめにくくってしまう神経は雑である。
せめて
「政府と自民党と、それを支えけしかけ励ます財界官界のためのNHK」
と言ってくれればまだ正直でよろしいが。
いまの日本放送協会は、説明の要もあるまいが、少数派の、言ってみれば日本の支配階級の私有物である。
----
だらだらと巷談俗説をあげつらってきたけど、ぼくはテレビも見世物である以上は、
「お代は見てのお帰り」
という考え方に立って、あれこれの判断をくだすべきである、と考えている。
《視聴者のためのNHK》
《全国民放送》
と言いたいのであれば、どうかそのような番組を見せてもらいたい。
なるほどそうだ、と思えれば代金(受信料)はきちんと払おう。
そして、
《NHKはたしかに、われわれのために番組を作っている。
すくなくともその努力はしているようだ》
と考えた者が、NHKと受信契約を結び、その人たちがこの局の出費を負担すればよろしい。
このために、まず、テレビ受像機を改造しなくてはならぬ。
A型は「NHKも民放も受信できるもの」
B型は「民放しか受信できないもの」
という具合に。
そしてA型テレビの価格の中には、5年間のNHK受信料を加算してしまう。
NHKはみたくないという人はB型にすればよろしい。
突飛なようだが、NHKが生まれ変わるには、こういった方法しかないと思われる。
この方法をとったら、A型テレビを買う人は少なく、NHKがたちゆかぬ、ということになれば、それはそれで仕方がない。
そういう放送局なら、一時も早くなくなるのがいいのだ。
ぼくはA型テレビを買う部類だろう。
さる人が、「いったい、NHKの番組に、観るに値するものがあるかね」と聞いてきた。
この局にも少しはいい番組もあるのだ。
番組の好き嫌いは各人の好みによる。
ある番組がなぜいいかは私の「偏見」が決めるのだ。
アタリマエだが。
まず、放送終了前の「天気予報」番組のフィルムと音楽がいい。
あのフィルムを眺め、あの音楽を聴いていると、なんとなく「ああ、これで一日おわったわい」と思う。
つぎに「新日本紀行」のテーマ音楽がよい。
「おれも、やっぱり日本人だわなあ」という気分になる。
いつだったか、夏の終わりの夜、山形のイナカの縁先でエダマメを噛みながらこのテーマを聞いたときは、心の底からしみじみとなり、思わず涙がこぼれたものだ。
「日本史探訪」はおもしろい。
選挙のときのNHKはじつにおもしろい。
これは選挙そのものがおもしろいのあって、NHKがおもしろいわけではないが。
』
【忘れぬように、書きとめて:: 2009目次】
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