2009年8月9日日曜日

: 第2部 "意識のもと"


● 2005/04



第3章 意識のもと
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 前2000年紀はそのままでは終わらぬ運命にあった。
 戦争と大災害と民族移動がこの1000年紀の中心テーマとなった。
 大混乱が「無意識の聖なる輝き」を暗雲でおおった。
 ヒエラルキーは突然崩壊した。
 言語に基づいたアナログの<私>を伴う、「アナログ空間」が創造され、神々の専制政治は遮蔽さtれた。
 入念に作られた精巧な<二分心>構造はぐらつき、「意識」に変わっていった。
 これが本章のきわめて重要なテーマだ。
 
 現代の世界では、厳格な専制政治から、軍国主義や警察組織による抑圧を連想する。
 だがこの連想を<二分心>時代の専制国家に当てはめるべきではない。
 <二分心>の時代には<二分心>こそが社会を統制しており、恐怖や抑圧による支配はもとより、法律による支配さえなかった。
 個人的野心や個人的欲求不満など、個人的なものはいっさい存在していなかった。
 それは<二分心>の人間には一個人になるための「内なる空間」も、一個人になるべきアナログの「私」もなかったからだ。 
 すべての主導権は神々の声になった。
 したがって、それぞれの<二分心>国家内では、人民はおそらくそれ以降のどの文明よりも平和的で友好的だったろう。

 意識の古生物学で、その研究が進めば、私たちが「主観的意識」と呼ぶ「比喩化された世界」が、どんな特別の社会的圧力のもとで、いかにして出来上がったかを、段階を追って認識できるだろう。
 相違を観察することが意識のアナログの空間の起源になるかもしれない。
 見知らぬ人々がたとえ自分と同じように見えても、違う話し方をし、反対意見を持ち、違う行動をとるのを観察すると、相手の内面に何か異なるものがある、という仮定にいきつく。
 この考えは、哲学の伝統の中で、私たちにも伝えられてきた。
 思考や意見、妄想は「実際の」「客観的」世界には存在する余地がないから、人の内面で起こる主観的現象だ、というのがそれだ。
 自分自身の心から他人を推量する理論としてこの問題をとらえる哲学の伝統は、考え方が180度間違っているのだ。
 私たちはまず、他人が意識を持っているということを無意識に想定し、その後それを一般化することで自分自身の意識の存在を推量しえる。

 「物語化」は、過去の出来事の報告を成文化するものとして出現した、というのが私の見方だ。
 文字はこの時代まで-----と言っても、発明されてから、ほんの数世紀しかたっていないが-----おもに「在庫目録」に使われており、神の財産の貯蔵や交換の記録手段だった。
 それが次に、神の命じた出来事の記録手段となり、後に行われる復唱が叙事詩の「物語化」になる。
 意識への非役が引き起こした混乱の中で、人間はこの記憶能力と記憶をパターンへと「物語化」する能力を身につけたのだ。

 融通のきかない「二分心」の人や、慣れ親しんだ神威への服従が強い人が消滅し、衝動性の少ない人や「二分心」の傾向が弱い人の遺伝子が残されて、」次の世代に受け継がれていく。
 意識はそれぞれの世代が新たに習得しなければならない。
 意識を習得する能力が生物学的に大きい者ほど、生存の可能性が高い。
 かたくなな「二分心」の子どもたちは、いとも簡単に殺されてしまった。

 私は「二分心」から「意識」への飛躍の過程で作用した、いくつかの要因の概要を述べてきた。
 それらの要因は次の通りだ。
(1). 文字の出現によって幻聴の力が弱まったこと。
(2). 幻覚による支配の脆弱性が内在していたこと。
(3). 歴史の激変による混乱の中で神々が適切に機能しなかったこと。
(4). 他人に観察される違いを内面的原因に帰すること。
(5). 叙事詩から「物語化」を習得したこと。
(6). 「欺き(あざむき)」は生き残るために価値があったこと。
(7). そして最後に、少しばかり自然淘汰の力を借りたこと。

 「二分心」の神政政治の世界では、その精神構造は短命で、今日の私たちが意識と言っているいるものとはほとんど共通点がなかった、と私は考える。
 ここで論じているのは「文化的標準」のことであり、文化的標準が激しい変化を経験した証拠が、次章以降の題材となる。
 意識への飛躍がひじょうに容易に観察できる例が世界に3つある。
 「メシポタミア」と「ギリシャ」、そして「二分心の難民」だ。







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